「飽き」と「趣味」。多趣味な僕の趣味の見つけ方。
飽きるという感覚
僕は、時折「飽きた」という言葉を使うことがある。
これは割と誰にでも当てはまることだと思うけれど、その意味合いは人によってちょっとずつ違う。
でも大抵は、
飽きた=ツマラなくなった、面白くなくなった、なんかやる気が出なくなった
みたいな、悪い意味合いが大きい。
「飽きる」って悪い意味にとらわれがちだけど、実際にそうなのか、考えてみようと思う。
飽きるまでの過程
僕が何かに「飽きる」という気持ちになるには次のようなステップを踏んでいる。
- 興味を持つ
- ハマる
- その分野である程度の知識とかスキルを身に着ける
- 成長がゆっくりになる
- 飽きる
そして、飽きた後、しばらくすると興味が再燃することもあるし、しないこともある。
僕の場合、「興味を持つ」から「ハマる」まで少しだけ間があって、一度ハマれば、それ以外のことに注意が向かないくらいには、それに集中してしまう。
そのあと、ある程度調べつくしたり、成長が止まってきたなぁと思いだしたら、飽き始める感じだ。
一度飽きた後、数週間~数か月後、たいていの場合興味が再燃する。
なんかまたやりたいなぁだとか、ふとした気づきからやってみよう!だとか。
こういう性格だから、いくつもの趣味を並行して楽しめてるんだと思う。
カメラ飽きてきたなぁって思ったら、音楽やって、音楽も飽きたら、ゲームやって、ゲームに飽きたころには、カメラとかほかの趣味の興味が再燃してきたりして。
何が言いたいかというと、飽きるってことはそんなに悪いことじゃないと思うってこと。
飽きるってことはそれだけ情熱を注ぎこんでやってきたわけだし、それだけ力を入れてやったことだから、いい思い出にもなる。
内容によっては、将来思わぬところで役立つこともある。
最近アニメ見るのに飽きたなぁとか、ゲームに飽きたなぁとか、そういう風に思ってる人がいたら、ちょっと普段とは違う行動をすることをお勧めする。
ちょっと、僕なりの趣味の見つけ方を書いてみる。
僕の趣味の見つけ方
僕が何かに興味を持ち趣味にするとき、いくつかのパターンが存在する。
それは、
- 前からその存在を知っていてキッカケが起きる
- 誰か(人や環境)に強制されて行い、それに興味を持つ
- 僕自身がこういう風になりたいって思う
この3パターン。
前から存在を知っていて、キッカケが起こる
これは、僕の場合カメラが当てはまる。
昔からやってみたいなぁっておぼろげながら思ってて、大学の先輩がカメラを始めたことがキッカケだった。
僕はバイトをしていないけど、偶然臨時収入があって、D5100を中古で購入。
それから1年ほど、カメラをやってる。
誰か(人や環境)に強制されて行い、興味を持つ
これは、料理(料理器具)かな。
一人暮らしを始めて、料理をせざるを得なくなったんだけど、いろいろ料理をしていく過程で、もっと包丁がよく切れたらなぁとか、鉄のフライパンでお肉を焼きたいなぁだとか、銅のフライパンで卵焼き...とか。
初めは自分でやり始めたわけじゃないけど、やってみたらその中に楽しさを見いだせた感じ。
僕自身がこういう風になりたいって思う
これは、パソコン関係かな。
昔から、パソコンを使いこなして、いろんなことができる人にあこがれていた。
初めは歌ってみた。次は動画編集。そしてLinuxとか、カメラのRAW現像とか、各種ツールの使いこなしとか。
初めはあこがれだったけどいろいろ楽しみながらやっているうちに、パソコンに詳しい人、と認識されるくらいには、いろいろできるようになった。
趣味は飽きるまでやり込め
何かに飽きる、ということは「やることがなくなる」ことにつながるのだけど、飽きるほど何かに打ち込めば、その何かに関連することに興味を持つことが多い。
だから、時間が許す限り「好きなことに好きなだけ打ち込む」ということが大切だと思う。
なんだか締まらないというか、文章全体通してまとまってはないけど、このくらいで終わろうかな。